Bicycle event
開運!大阪七福神巡りライド
[開催日] 2020/01/25
新年恒例となった大阪七福神を巡るサイクリングが開催されました。
寒い時期ですが、正月休みの運動不足の解消を目指しつつ、ご利益を祈願して走ります。
近畿圏にはいくつかの有名な七福神めぐりがありますが、大阪七福神はミナミを中心に回る都会派の七福神。アクセスの良さに加え、御朱印をいただくための色紙が華やかなことで人気があります。大阪七福神巡りの面白さは、7ヶ所の神社仏閣の持つ個性の豊かさです。大阪を代表する有名なお寺から、繁華街の真ん中にあるお寺、現代的なビルのお寺まで、多様な神社仏閣の建築と街を一緒に楽しむことができます。歴史好きな方ならば、聖徳太子、真田幸村、豊臣秀吉や側室淀殿にまつわる見どころがあり、それらにまつわるストーリーも面白いので、下調べして巡るとさらに楽しさが増すことでしょう。
距離は七か所のみを回るとおよそ10㎞。
自転車で気ままに気になる場所に立ち寄ったり、知らない横道を探検したり、寄り道しながら巡るにはちょうどよい距離です!今回はシマノスクエアを出発し、合計24㎞の行程を楽しみました。
暖冬で暖かい日が続いたおかげで、天気に恵まれた昨年より暖かいスタートを切ることができました。
それでは、7か所を回った順番にご紹介していきたいと思います。
①寿老人(三光神社)
真田幸村ゆかりの真田丸と大阪城に通じる抜け穴
真田丸の大河ドラマで一躍有名になった三光神社は、大阪城の出城として真田丸が置かれていた場所にあります。大坂城へ通じていると言われる抜け穴や、幸村の銅像や迫力あるねぷたを境内で見学することができます。
本堂横にあるのが、一ヶ所目のお目当ての寿老人像。寿老人は道教の神様で、最も明るい星シリウスに次いで2番目に明るいカノープス(南極老人星)の化身と考えられています。北半球では東北地方より南の空で見ることができますが、通過する大気の距離が延びるため、赤い星に見えます。老人星といわれる所以です。緯度の高い中国でこの星を見たものは長生きすると考えられていました。
②布袋尊(四天王寺布袋堂)
聖徳太子建立の日本最初の仏教官寺、最古の石鳥居と乳布袋像
2か所目は四天王寺の中にある布袋堂です。
広大な四天王寺境内の東側に、永仁2年(1294年)に建てられたという日本最古の石鳥居があり、その側に布袋尊を祭る建物があります。ご本尊の布袋さんは2体あり、一つは小さな乳白色の布袋さんです。母乳の出にくい方、乳がんの方にもご利益があるそうで、乳布袋と呼ばれています。女性向けのお守りも販売されています。堂内にはもう一体、大きな黒い布袋様も祭られています。布袋尊は唐時代の中国に実在した人物と言われ、大きな袋を背負っているのが特徴です。必要なものすべてを背負って放浪していたという伝承があります。
四天王寺には他にも重要文化財の石舞台をはじめ、見ごたえある建築物や室内休憩所なども完備されていますので、足休めを兼ねてじっくりと見るのもおすすめです。
③えびす(今宮戎神社)
商売繁盛の十日戎と四天王寺の西方守護神
3ヶ所目は、今宮戎へ。商売繁盛の十日えびすは、大阪人なら誰もが知る有名な年頭行事です。毎年1月10日の本えびすと、その前後の1日は前えびす、残りえびすと呼ばれ、境内に入りきらないほどの参拝客でにぎわいます。普段の境内はとても落ち着いた雰囲気に包まれていて、その差が不思議に思えるほどです。えびす様がいらっしゃるのは本田の裏側です。
④大黒天(敷津松之宮)
敷津松之宮の中にある大国主神社と木津勘助像
4ケ所目は大国主神社こと、敷津松之宮です。天津神の最高神が照大神であるのに対し、大国主大神は、国津神の最高神とされる神様がここに祀られている神様です。七福神の中では数少ない日本の神様ですが、外来のえびす様と習合されていることも特徴です。「えびす大国両まいり」をすると願いが成就すると言われ、今宮戎と併せてお参りするのが人気です。
今年の干支である狛「ねずみ」が出迎えてくれました。
こちらの境内には、大きな木津勘助の銅像が。木津川の開削や寛永16年(1639年)の大飢饉の際に大阪城の備蓄米の放出を願い出たが聞き入れられず、お蔵破りをして民衆のために米を配った人物で、川や街の名前の由来となりました。木津卸売市場も近くにありますので、そちらを一緒に回ると市場ならではの味のある風景と出会えます。
⑤毘沙門天(宝満寺大乗坊)
日本四大毘沙門天の毘沙門天像(重要文化財)と第二次大戦中の不発弾残骸
5ヶ所目の大乗坊にある毘沙門天は、鎌倉時代に制作され、重要文化財になっています。
他にも奈良時代、江戸時代に制作された2体の毘沙門天が、宝蔵庫に収められているそうですが、残念ながら通常公開はしておらず、例年2回のみ、五月頃にご開帳されるそうです。かつては15年に一度のご開帳だったときくと、ぜひ見ておきたくなりますね。
境内に入ると、でんでんタウンの中にあるとは思えない静かな雰囲気の大乗坊ですが、建物入り口にある金属の残骸、第二次大戦中の不発弾が目に留まります。戦火を潜り抜けてきた毘沙門天像だということを実感します。
⑥弁財天(法案寺)
法円坂の由来となった日本橋の聖天さん
四聖徳太子が1400年前に鴫野に建立したと伝えられるお寺です。その後現在の法円坂付近や、神仏習合の際に生国魂神社の神宮寺として移築され、その後現在の島之内に再建されました。宗衛門町を東へまっすぐ進んだ歓楽街の端にあり、かつての街の気品を残しています。
さてこちらに祭られている弁財天は、もともとヒンドゥー教の神様で、言語・学問と芸術をつかさどると言われています。一緒に創造神とされるブラフマーの配偶者で、聖なる河、サラスヴァティー川の化身でもあるそうです。言葉や音楽など、「流れていくもの」にご利益があるとされています。七福神の中では唯一女性の神様です。
⑦福禄寿(大圓山長久寺)
大阪城築城と淀殿由来の逸話を持つお寺
淀殿の命により、片桐且元と大野治長が大阪城を築城した際の余材を使って建立したと言われる曹洞宗のお寺です。現在はぼんやりしているとお寺とは気が付きにくい鉄筋コンクリート製の社殿となっています。当時の大門や本堂は、奈良の薬師寺に移築されているそうです。建築に携わった大野治長という人物は、長年子供に恵まれなかった秀頼の実父ではないかという説が存命時から噂されていた人物で、秀頼を最後まで支え続けた忠臣と言われています。
入り口の階段を上がって玄関のすぐ右手に、立派な大きさの福禄寿像が祀られています。子の福禄寿は寿老人とよく似たエピソードを持っており、同一視されることがしばしばあります。寿老人と同じく南極老人星の化身と言われる福禄寿。中国の黄河が千年に一度澄むという逸話があり、それを何度も見たことがあると語っていたことから、長寿の神様となったという伝説があるそうです。
最後には7か所の御朱印と七福神のイラストが入った見ごたえある色紙が完成します。大阪七福神の専用色紙は、各神社仏閣で購入が可能です。縦33cm × 横41cmと大きいため、自転車で回るには色紙が入るリュックサックや、パニアバッグを用意すると安全に走ることができます。大阪市内の街並みや小さな発見を楽しみながら、是非皆さんも七福神巡りを楽しんでみてください!